ラジオ番組「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」 

北前船プロジェクト活動内容のご報告

報告日付報告内容
2022-02-11

津軽三味線のルーツは越後から北前船で伝わった

2017年12月22日放送「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
青森県五所川原市 NPO法人かなぎ元気倶楽部 専務理事 伊藤 一弘氏

 前半は、北海道と日本海側、関西、九州で北前船のテーマとチエンバロ演奏で活躍の中、苫小牧東港からフェリーで敦賀に行く途中、津軽半島を通過する船から見える龍飛崎の景色が、今日のゲストの話に繋がります。 敦賀に着くとチェンバロを車に載せたまま、琵琶湖を南下し京都―大阪ー佐賀に移動する等全国の北前船関連地域で、北前船の話とチェンバロ演奏をしてきたそれぞれの地域で郷愁を振り返っていました。話の中で、佐賀県知事が北海道神宮にこられるなどその繋がりもわかりました。 来年1月には、京都でのお茶の会、佐賀、福岡のスケジュールの後、札幌での恒例のニューイヤーコンサートの案内がありました。この世界的にも有名な久保田彰氏作のチエンバロの竪琴の響きと、楽しい北前船の話を来年2月に坂越の人逹にも聴いてもらえそうです。

  後半の「すすめ!北前船」は、ゲストの青森県五所川原市のNPO法人かなぎ元気倶楽部 の専務理事 伊藤一弘氏をお迎えしています。 金木町は、旧五所川原市、北津軽郡の金木町と市浦村が合併して五所川原市金木町になりました。

 金木の歴史ある町の地名を後世に伝えたい想いや、地域伝統文化・芸術を守っていきたい気持ちから生まれたのが、「かなぎ元気倶楽部」であることがわかります。
金木は、内陸部の歴史のある町で、津軽藩が青森ビバを財源にしていた事から金木の地名になり、津軽三味線の発祥地であることや、太宰治の生誕地等その歴史の深さがわかります。
この中で、津軽三味線のルーツは越後から北前船で伝わった事や、江戸期は十三湊から青森ビバを北前船で江差や上方にも運ばれていた話もありました。
 金木は13世紀から15世紀前半にかけて豪族・安藤氏が支配し、大規模に整備された港湾施設が出来ていた事から、交易の歴史は古く、江戸初期は近江商人やがて北前船に繋がっていく話になっていました。素晴らしい北前船の活躍の歴史がわかります。

文:矢竹考司

2022-02-11

太平洋を越えた越中富山「長者丸」。危険な太平洋側東回り航路へと進んだわけ

2017年10月29日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:(株)四十物昆布の代表取締役社長 四十物(あいもの)直之社長

          

富山4回目の放送の(株)四十物昆布の代表取締役社長 四十物(あいもの)直之社長の2回目のインタビューです。 前回に続き、北前船が活躍していた昆布ロードの話で、今回は北前船航路を使わず昆布等を運んだ、越中富山の「長者丸」の話です。この放送から、松前で昆布を積込んだ「長者丸」が、危険な太平洋側の東回り航路へと進まなけれならなかった背景がわかります。

1838年三陸海岸から南下していた「長者丸」は、金華山沖で暴風に合い難破し漂流中にアメリカの捕鯨船に助けられハワイに行く事になる。これは、ジョン万次郎の遭難の4年前の話と同じで10人の中で米田屋次郎吉は、万次郎に劣らない優れた才能がある話から、富山の奥深い歴史がわかります。

四十物さんは、ハワイの吉岡平四郎や次郎吉の足跡を探して、ハワイにまで取材に行かれ1840年10月のハワイのポリネシア新聞の記事を見つけられたり、他の文献から平四郎や次郎吉の足跡を探されていたのには敬服しました。この新聞から、日本とアメリカとの金と銀の交換比率の話もありました。四十物さんは、ここからペリーの話に繋げていましたが、私は悪どく儲けた領事館ハリスの方が気になりました。 放送から、太平洋を越えた越中富山の北前船のドラマに感動しました。尚、藩の命令で『時規物語』に詳しくかかれていると四十物さんは語られていました。

更に今月から、室蘭市と富山県黒部市からの放送が始まり、北前船寄港地14局ネットになりました。 日曜日から木曜日まで北前船寄港地の14局で再放送されています。

文:矢竹考司

2022-02-10

平清盛の遷都の地「兵庫津」兵庫商人の復活を目指して

2022年2月4日放送「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:(一社)よみがえる兵庫津連絡協議会会長・高田誠司氏。

高田さんは、江戸時代から続く「樽屋五兵衛」12代目当主で、神戸樽五 協和商事(株)の代表取締役である。「樽屋五兵衛」は、近江国出身で兵庫津(現神戸市兵庫区)で樽を作る商売を営なみ、北風荘右衛門や高田屋嘉兵衛などと同じ兵庫商人で北前船の時代から活躍していた。

 兵庫津(福原)は平清盛の遷都の地で、大輪田泊で知られている。10年前の大河ドラマ『平清盛』を機に、「神戸・清盛隊」が結成され、現在も神戸を中心に活動している。折しも今年 『鎌倉殿の13人』で、再び“清盛”が脚光を浴びている。 また、2025年開催の大阪万博では、兵庫津と連携する構想にもふれていた。 高田さんの会社では「元気で長生きプロジェクト」をモットーにしているが、協議会では岡方倶楽部を拠点に新たな企画をしたいとその思いを語っていた。

 昨年完成した「兵庫津ミュージアム(初代県庁館)」、工楽松右衛門、高田屋嘉兵衛の詳細は、ブログhttps://chopini.hatenablog.com/entry/2020/12/15/104816のクリックでご覧ください。

 この番組は毎週金曜日14時から札幌の「FMしろいし」放送されています。アイフォンからは「Tune in Radio」で、アンドロイドでは「日本ラジオ」で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2020-09-06

「北前船主の館 右近家」書道家 右近桜月様 越前和紙への想い

2017年6月2日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:福井県南越前町出身 右近桜月(うこんおうげつ)様

ゲストは、福井県南越前町出身の  右近桜月(うこんおうげつ)さん。雅号の由来は、右近の苗字に桜の種類「うこん桜」の字から右近桜月さんの名が生まれたといい、「書ドル」は、書道とアイドルを掛け合わせた桜月さんの造語で、特許庁に商標登録し日本唯一(日本初)だと応え、書を通して日々の生活に寄り添えたらと語っています。

 南越前町の「北前船主の館 右近家」の菩提寺金相寺(地図)で生まれ育った桜月さんは、住職だった祖父が書に携わっていたので3歳頃には祖父の膝の上で鉛筆で遊び、5才で筆を持ち書に親しんだといいます。  桜月さんは、1500年の歴史ある地元の「越前和紙」独特の魅力を紹介し、自分の作品を通じて全国に「越前和紙」を知ってもらいたいとインタビューで応えています。  

 2016年梅田で個展を開いて多くの方に「越前和紙」を知ってもらった感想を紹介しています。  デジタルの活字にあふれる時代、手書きで書く素晴らしいさ大切さを紹介し中国の有名な文字を、沢山書いてから創作に入ると語っていました。  もっと知りたい時、どうすればとのインタビューに「右近桜月」の検索でブログ等から見る事ができると応えています。  

公式ホームページ:https://ukon-ougetsu.com/

 南越前町は、2017年北前船寄港地として最初に日本遺産に登録され、北前船主通りには、昔ながらの立派な建物の中に、桜月さんの実家の金相寺があり、明楽さんは高台に上がって行くと右近家の洋館があり眼下に海が見えると紹介しています。 小樽の北前船のイベントに明楽さんと参加した桜月さんは、沢山の人が来られていたのに若い年代の人がいなかった事にふれ、アニメ等で若者に広める夢を語っていました。  

文:矢竹考司

2020-08-21

小浜 専門の「帆布」で復元に関わる

2017年5月26日放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:小浜市 桑田テント(株) 桑田博敏社長

 ゲストは、小浜市の桑田(くわた)テント(株)の桑田(くわだ)博敏社長で、帆船の帆布について語っています。桑田さんは、琵琶湖で活躍した「丸子船」(1995年)を皮切りに、2000年の「菱垣廻船」(大阪市なにわの海の時空館) 2005年の「みちのく丸」いずれも専門の帆布で復元に関わっています。

  丸子船は、近江商人が利用していた時代が全盛期で、西廻り航路(北前船)の開発で重要性が後退します。  丸子船は、昭和初期まで琵琶湖で活躍し、明治期の丸子船を参考にして再現され、滋賀県立琵琶湖博物館で展示中です。

 菱垣廻船をメインに展示している「なにわの海の時空館」は、2013年に閉館されますが、民営化の引き受け先が決まれば開館される話があります。
菱垣廻船は、大坂から江戸の大消費地を結んだ定期航路(1619~)で活躍し、北前船と同じ帆船で実物と同じと紹介しています。 この帆船を何回も見学した明楽さんは、 地下では船底が見えエレベーターで上がりながらその船体が見え3階で帆布が見えた感激を紹介しています。

 「みちのく丸」は、野辺地町の常夜燈公園に展示され、2017年9月北前船寄港地フォーラムで青森湾で修理中の船の中でガイドの方の案内がありました。 この中で、実際に航行したのは「みちのく丸」で小浜にも寄港したと語っています。  むしろで作られ、やがて綿麻で作られていたのが高砂出身の工楽松右衛門が開発した「松右衛門帆」が使われ弁才船は一段と進歩したとはなし、帆布を作るには、糸選びからし準備に1年かかると語っていました。

 小浜市は、この放送の1年後、北前船寄港地として日本遺産に追加認定されました。  放送は最初の認定から1ヶ月後でしたが、今後の北前船の取り組みへの期待を語っていました。

文:矢竹考司

2020-08-02

「北前船と海女の文化・伝統」安島の刺し子(モッコ)の復元から祭りの法被へ

2017年5月19日放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:坂井市 安島 森岡千代子様 

 坂井市三国の東尋坊がある安島(あんとう)からの『すすめ北前船』のゲストは森岡千代子さん。森岡さんは工芸ギャラリーを運営し、安島の刺し子(モッコ)の復元から安島の祭りの法被にするまでを語っています。

 最初に安島の刺し子の発祥はいつ頃ですか?  との問いにその文献はなくいつ頃かはっきりしていない、3年程前にみくに龍翔館がまとめた薄い冊子が出来たと応えています。

 安島は、江戸時代から続く船乗りの町で、北前船で出港すると半年は戻れない。  残った女性は、夏は海女をして家族を支え、北前船で留守にした男性を思い、特産の麻の普段着に細かい針で一針、一針刺し、時間をかけ刺しゅうで補強し暖かくしたのが安島のモッコ(刺し子)だと。

 森岡さんは、2001年に安島に移住し3年程して、みくに龍翔館に展示されていた安島の刺し子(モッコ)に魅せられたといいます。  復活させたいとの想いも、刺し子の技を持つ海女に出会う事もなく10年程して、安島の海女が持っていた100年程前の保存状態の良い刺し子と出合います。  このモッコの出合いから復活させようと、刺しゅうに詳しい坂野上百恵さんに、解読をお願いして安島の刺し子を復元させます。  復元しても、何処で使うか?どう残していくか?の課題にも坂野上さんは、祭りで使う法被にすればとのひと声に、安島で生まれ育った坂野上さんの地元への想いを知ったと話しています。  森岡さんは、安島の刺し子は、北前船と海女の文化の伝統を途絶えさせてはいけないと、坂野上さんを先生にモッコつくりを始めます。  やがて11人の女性が参加するようになり、館を借りる為に「安島モッコの会」と名前が.自然に出来たと。

 こうして2017年明けから刺し子をつくり始め、2017年4月の安島の祭りに11着が使われたと語っています。

 前週の放送で、三国際(毎年5月20日開催)を大和さんが紹介していますが、安島には、1000年以上続く大湊神社の例大祭「雄島祭り」があり、毎年4月20に開催されています。  投稿の「雄島祭り」の動画の中で、森岡さんのこの祭りのインタビューを紹介しています。  話の中で、古い法被は色が薄いとあり、濃い紺色の法被が、森岡さんや坂野上さんらが再現したものがあるかも知れません。  最後に森岡さんは、4月20日の祭りには、是非見に来て欲しいと言っていました。

文:矢竹考司