ラジオ番組「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」 

北前船プロジェクト活動内容のご報告

報告日付報告内容
2022-02-12

秋田 政治経済から世相を風刺した「見返し人形」

2018年7月13日放送「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:秋田市 観光案内人 佐藤節子さん

 ゲストは、秋田市の観光案内人の佐藤節子さんです。 ユネスコの世界無形民俗文化財でもある秋田の土崎神明社例祭は、今週の7月20日21日に開催されます。この祭りで使う掛け声は、ニシン船を引く時に使うもので、音頭あげと呼ばれ録音で聴かせてくれました。

 ここでは、その掛け声と映像を、100秒のユーチューブの動画から紹介します。https://www.youtube.com/watch?v=vG70ERjUO1k この動画の後半で「見返し人形」を上に飾った曳山が、ジョヤサの掛け声に合わせて土崎の町を威勢よく練り歩いています。

 町人は、経済力があったものの身分は、侍より低かった時代、反骨精神が生れ政治や経済から世相を風刺した「見返し人形」を山車の上に飾っていたいいます。見返し人形は、全国でこの曳山祭りだけだと紹介。  この祭りのお囃子は熊本からで、掛け声は北海道から影響を受けています。活発な交易は、今もとろろ昆布等の昆布の店が内陸にまであると話からもわかりました。 前段で富山の昆布の消費は、日本一と四十物昆布社長のインタビューにありましたが、秋田の昆布は意外でした。

日本三大うどんの稲庭うどんで有名な佐藤養助商店には、北前船で運ばれた「石うす」があると。「石うす」は、3月、4月と5週連続放送で吉田幸男さんの塩飽からの話の中で、能代市の光久寺には「紙谷仁蔵」の「石うす」の墓のストーリーを吉田さんが紹介していました。 町の名前や苗字から、加賀、酒田等日本海の地名が多く残り、幅広い交流があったようです。 祭りの準備をしていた先月、わざわざ神明社での祭りの練習している所を案内してくれました。佐藤さんは、同期会等で、久しぶりに会った時、この祭り話題で盛り上がると話をしていました。 

文:矢竹考司

2022-02-12

寿都町 「こんぶDay」

2018年7月6日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」

 全国的な豪雨を気遣う言葉から始まり、「こんぶDay」、小樽の南の日本海側の寿都町を紹介しています。「こんぶDay」は、NPO法人昆布協会が昆布をテーマに企画し、北海道大学の総合博物館で10月27日に開かれ3年目。

 「北海道では、昆布が意外と馴染みがない」と、5月25日の『進め!北前船』で札幌の昆布専門店「佐吉屋」の佐々木惇さんも語っていた事からこの企画の背景がわかりました。この内、こんぶの種類別の出汁を当てる「きき出汁クイズ」は、明楽さんも親子の料理教室で企画し、羅臼、日高、南茅部、利尻の昆布の特色を紹介しています。この時、羅臼昆布の漁師の協力で、羅臼の昆布漁の写真展を開いたと語っています。

 こんぶDayの企画には、北海道総合研究所が開発した、介護の補助で利用される昆布スーツの試着、昆布を削り絵を描く等、昆布を使った遊びや学びから、一日昆布で楽しめそうな企画のようです。 寿都(すっつ)については、先週、曹洞宗の龍洞禅寺での、座禅、写経の2日間のツアーに参加から、このお寺の住職の昆布漁と北前船の話を紹介しています。 にしんで繁栄していた明治の、鳥居、狛犬、手水鉢が今も残り、寿都の北前船の足跡に出合えた感激を語っていました。

文:矢竹考司

2022-02-12

利尻島 大量の海藻を使ったアートで、まちの活性化

2018年6月29日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:NPO法人利尻ふる里島づくりセンター 事務局長 小坂実氏

 ゲストは、NPO法人利尻ふる里島づくりセンターの事務局長の小坂実さん。 利尻島は、ニシン漁がピークだった昭和31年頃は、各地から人が集まり2万人を越えていたのが最近は、4000人余りにまで減少しています。

 人口減少の中、小坂さんが中心になり利尻の活性化の為の企画をして来られて20年。 名産の利尻昆布やワカメは、採れる海藻全体からみれば僅か。使い道のない大量の海藻を使ったアイデアでアートにする試みは、まちの活性化になっています。これを、使われていない 120年の伝統ある渡辺商店の建物を島の駅にリューアルし、ここにアートを展示する企画に、北海道庁の支援もあり明楽さんもこの企画に参加しています。

  地域のコミュニティとしての道の駅は、地元、観光客、アートとを上手くつなぎ、利尻を元気にしている話です。 使い道のなかった海藻がアートで生まれかわると、全く違うものになり、地元の方々も驚いていると語っています。また、利尻16景を札幌の仲間と共に、スタンプラリーのアイデアも紹介しています。

 1719メールある利尻山の景色は、見る場所から違いがあり、16景にそれぞれ詩がある試みは楽しそうでした。 明楽さんは、利尻島にも行く等、北海道を元気にしたい気持ちが、日本経済新聞の広告記事でも紹介されていました。

 このFMの収録放送は、この木曜日のラジオ七尾を皮切りに北前船寄港地13局で放送されます。無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-12

小樽「にしん御殿 旧青山別邸」国 登録有形文化財

2018年3月放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:小樽の旧青山邸(貴賓邸)を運営 佐藤美智夫氏

 ゲストは、札幌在住の佐藤美智夫さんで小樽の旧青山邸(貴賓邸)を運営しています。この旧青山別邸は、3代目17歳の青山政恵が、酒田の本間邸に魅せられ、その夢を、初代の青山留吉と政吉の親子二代が、鰊漁で巨万の富を得た資金で叶えたものです。 

 大正6年から6年余りをかけ建てられ、平成22年、国の登録有形文化財に登録され、約1500坪の木造2階建ての190坪の建坪で、6畳~15畳の部屋が18室、それぞれに異なった趣きにロマンがあると明楽さんが紹介。
高い天井がある貴賓館の一角で、去年チェンバロ演奏をしたお礼の挨拶から始まります。

 佐藤さんは、40歳の時この青山別邸を見て気に入り、持ち主と会って2か月もたたないうちにこの別邸を譲り受けたといいます。 この時、東京や大阪からも話がある中で、佐藤さんが管理する事になった、佐藤さんの想いや情熱が持ち主に伝わったようです。佐藤さん自らが手を入れをし、牡丹400株、芍薬は37種300株、ゆり300株、アジサイが600株が次々と綺麗に咲いている庭からもその情熱が伝わってきます。

 大正時代の造り方材料、直し方にもこだわり、昔のままを保つ事に力を注いで来られた中で瓦修復の話があります。 それは、10年前程前の事で、使う瓦、瓦の下の木にもこだわった瓦職人の気概を熱く語っています。 瓦の下の木は腐っているはずで、現代の木ではなじまないと、大正時代の木にもこだわり、瓦も当時の焼き方で焼いた瓦をでないと修復はしない兵庫県の瓦職人の話があります。 この時佐藤さんは、大正時代の木を探しだして、24000枚の瓦を修復に4か月半をかかったと語っていました。 この青山別邸は、山形県から60人程の宮大工や建具職人等が建造に関わったといい、高い天井の板は紀元前4世紀の鳥海山の木、廊下や柱、階段などの木は、神代杉、屋久杉など、北前船で運ばれていたといいます。

 また、各部屋には絵や工芸品の数々の展示の話もありました。 佐藤さんは、ニシンは食べるだけでなくそのカスは肥料として北前船で運ばれ、これが日本の農業の発展に貢献していたと語っています。 この鰊カスを肥料にして、綿の生産から更に発展させた倉敷市の下津井の話も以前に紹介しました。

「チエンバリスト明楽みゆき」の放送は 毎週金曜日14時から、再放送は日曜日20時からfmしろいし局から放送され、その後、北前船寄港地13ヶ所で収録放送されています。

文:矢竹考司

2022-02-11

石狩 「北前船のジオラマ」

2018年2月9日放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:石狩市 郷土研究会 事務局長の石黒龍一氏

 この放送の週、石狩市花川北中学校で北前船の歴史の出前授業があり、石黒さんが制作した「北前船のジオラマ」が展示されていた話からから始まります。

 授業が終わっても、ジオラマやチェンバロから中学生が離れなかった話から、珍しいチエンバロや北前船への関心が高かまった話もありました。

 ジオラマは、北前船が明治25年石狩市の天然港だった押琴湾で荷を降ろし、岬奥のニシン漁場からニシン出荷を再現したもの。 木材にこだわり、アカマツ、ケヤキ、秋田杉、ヒノキを使い、舵とロクロは、樫の木で制作したと話は続きます。 
奥様が北前船の帆、鰊・生活 用具・漁具、を制作し、表情豊かな人形は、地元の人形作家の八田美津さんが製作。人形や米俵、皿などの小物まで一つ一つ丁寧に手作りで再現されている話は明楽さんが紹介。

 石黒さんの北前船への想いは、教員だった時代、北前船の足跡が多く残る門前町(現輪島市)と石狩の子供達との交流にあるとインタビューでわかります。 北前船ジオラマ再現の為、輪島市の天領北前船資料館や、佐渡の博物館に行き白山丸の研究したと応えています。

 2月8日の北海道新聞には、北前船の歴史を地域振興に生かし活動中の市民団体(北前船北海道プロジエクト)が主催。全国団体「現代版北前船プロジエクト」の実行委代表でチエンバロ奏者 明楽みゆきさん、小樽商科大の学術研究員の高野宏康氏、そして石黒隆一氏の名前がありました。 小樽商大の高野宏康先生の北前船の講義に明楽さんが加わり、石黒さんが制作のジオラマの展示で明治25年の石狩を再現した授業だったのが報道されていました。

 この「北前船のジオラマ」は、今月27日から石狩市厚田区の国道231号線の道の駅のスペースに展示されます。 北前船寄港地として日本遺産の追加認定の発表が近くあります。 石狩市も申請している事から、実現すれば、石黒さんの「北前船ジオラマ」がクローズアップされそうです。

文:矢竹考司

2022-02-11

全国そして世界へと渡った、古伊万里

2018年2月23日放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:東西古今 明治伊万里研究所 代表取締役 蒲地孝典氏

東西古今 明治伊万里研究所の代表取締役の蒲池孝典氏は、ギャラリー花伝の運営もされ、明治古伊万里の「美」の世界を語っています。 柿右衛門や古伊万里が、ヨーロッパに大量に輸出された18世紀末迄が第一の黄金期だと。

 それは、18世紀に入りオランダからイギリスに貿易の主導権が移り、ドイツのマイセン、中国磁器に変わって行くまででした。 第2期は、幕末パリ万博に伊万里焼が出品がきっかけだと。

 また、帆船の北前船の時代にいち早く蒸気船で活躍した久富 与平昌起の話があります。 与平は、伊万里焼の輸出を再開します。 これは、佐賀の小城藩主から蒸気船「大木丸」を与えられ、海運と貿易で五大州を廻らんと望んでいたと浦池さんはいい、伊万里焼の輸出を再開しています。 それは、明治に入り文明開花の中、明治政府の日本の伝統美の推進、輸出拡大政策から黄金期を迎えた時。 西洋食器の文化を融合させた明治古伊万里が、明治16年鹿鳴館で使われ輸出に弾みがつきます。 しかし大量に生産が出来ない明治古伊万里は、やがて価格競争に負け明治末に現在のノリタケに生産が移転されます。

 佐賀と釧路航路でも活躍していた与平の大木丸は、明治初め千島沖で難破し半年余り漂流し病死する。 この時、「遺体は海中に投ぜよ。死後長鯨に跨って初志を遂げん」と言い残していたといい、有田町の報恩寺には、鯨をかたどった台座に与平の碑が建っていると語っています。

 その後、佐賀の武富善吉が釧路で活躍し、釧路で知らない人はいないとの語っています。 高級品から庶民向けまで、伊万里港から、全国に船で運ばれ、大阪の佐賀藩指定の卸問屋にも運ばれます。 こうして、江戸、そして北前船で全国に運ばれ、小浜、三国、福浦(石川)佐渡、酒田、松前には、大量の古伊万里が発見されています。

文:矢竹考司

2022-02-11

小樽から下津井  ニシン粕を積んだ北前船

2018年3月23日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:倉敷市「むかし下津井廻船問屋」矢吹勝利館長(放送時点)

 ゲストは、倉敷市の「むかし下津井廻船問屋」の矢吹勝利館長で去年8月に続き2回目になります。 瀬戸大橋開通の後、児島地方の観光の拠点にと岡山県が、昔風の廻船問屋を再現する話から始まります。 この館は、かって廻船問屋を営んでいた中西家の縫製工場跡だったと。

 下津井が「吉備の児島」でまだ島だった時代、本州との間に「吉備の穴海」とよばれた海域があったといわれています。ここに3つの川から流れてきた土砂で海は浅くなり、大規模な干拓で陸続きになったと。 塩分を含んだ干拓地に、米の栽培は難しく綿生産が始まりまりその肥料として、北前船で運ばれてきた北海道のニシン粕で、綿の大規模生産が可能になります。
 一方、児島の南は海流が激しくその為、風待ち港として下津井に港が出来き、沢山のニシン粕を積んだ北前船が寄港するようになったと話は続きます。 綿の大規模生産から、繊維の町としても繁栄していた話は、先週の放送の中で、小樽の旧青山別邸(ニシン御殿)を運営されている佐藤美智夫さんが「ニシン粕は、北前船で運ばれ日本の農業の発展に貢献していた」と放送で語っていました。 下津井は四国に近く、金比羅参り、お遍路参りでも栄え、塩飽についても語っています。 矢吹さんは、この廻船問屋を(2018年)3月末に退官されますが、児島観光協会の会長として引き続き下津井の活性化につなげて行きたいと熱く語っていました。

文:矢竹考司

2022-02-11

宮津 北前船と日本酒

2018年3月2日放送「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
宮津市 日本酒ソムリエ 古田豊弘氏

 前週、瀬戸内海の坂越(赤穂市)であった「兵庫県政150周年記念事業」の話から、北前船寄港地の方々との交流を振り返っています。 京都から北海道に住むようになって、先祖の北前船への想いを活かし伝えたい気持がうまれます。 2009年小樽から船で舞鶴に行き丹後地方との方々との交流に始まります。これが今日の、後半の「すすめ北前船」のゲスト古田豊弘さんのインタビューに繋がります。 

 古田さんは、宮津市の方で日本酒ソムリエ そして天橋立酒鮮の宿まるやすのオーナーで、FMまいずるでパーソナリティ。 毎週木曜日は、舞鶴発の観光情報とカバー曲、毎週金曜日16時は、日本酒ソムリエとして日本酒講座が毎週あり、浜田省吾の曲と紹介しています。

 学生時代、なぜ京都でニシンそばなのか?その素朴な疑問が、北前船の出合いの1つだと語り、古田さんが早くから北前船に関心があったようです。 港の近くには酒蔵が多いいと、北前船や樽廻船が日本酒を全国に広めていたと、日本酒を北前船から熱く語りっています。
 地元の鉄道やバスのフリー切符を企画、古田さんが運営委員長の丹後酒蔵ツーリズムは、日本一のスケールメリットがあると観光庁の方の話も紹介。
 今年5回目になる酒蔵祭りは、100キロの範囲に12の酒蔵があり、ここでは鉄道バス使う意味があり丹後地方の地域お越しにも貢献。 毎年5月の最終土日開催で、去年は3000人が来られ北海道からも6人の方が来られていたとのこと。

 由良川で活躍していた高瀬舟が、北前船と繋ぎ山陰街道をキーワードに、歴史を今に活かした多くの企画から、古田さんのバイタリテイが伝わってきます。 古田さんは、買積み船では情報や知恵が一番大切で、上手に活用した人が成功し、人と人を結ぶ力が北前船にある事を最後に語っています。 FMしろいし、fMまいずるも、無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-11

小豆島と北前船

2017年8月11日放送 「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:小豆島在住の 南堀英二さん

 2017年7月から8月にかけて、瀬戸内海の播磨灘から坂越を皮切りに、備讃瀬戸からは岡山、小豆島、下津井の順でインタビューがありました。今回は、小豆島在住の 南堀英二さんの8月11日放送分を紹介します。

 明楽さんは、オリーブの島としての印象や、二十四の瞳の分教場の大石先生の話を思い出のように話をし、南堀さんの、執筆活動や農村歌舞伎の事務局でしている事、坂越の北前船歴史講座で「小豆島の石と塩と北前船」の講演をした話からしていました。 
 野辺地にあった石が、小豆島産だと突き止めるのに20年かったと南堀さんは紹介しています。この石が後に、愛宕公園で使用された事から大阪城残石記念公園と友好姉妹公園(小豆島側の写真)になり、この調印式に野辺地に行ったのが当時の岡田好平土庄町長と南堀さんでした。
 小豆島の石は、酒田にも残され国指定文化財の本間家のパンフレットにも小豆島の石を使用していた事が紹介されいる話もありました。 牛の形をしている小豆島は、入江が多く今でも台風の時は、多くの船が入ってきている話から、風待ち、潮待ち港として、近世では北前船が往来する航路として重要な役割を果たしていたのがわかりました。 しかし、北前船寄港地の地図には小豆島の掲載ほとんどなく、小豆島が北前船で活躍していた事を知る人は少ないのが現実です。
この他、船大工が多かった事、農村歌舞伎の衣装を大阪から帰りの船で運ばれ、今でもその衣装が大量にのこされている話もありました。

 小豆島の北前船の足跡は、坂越と同じ所にあり浜田市、新潟出雲崎にもありました。 酒田の日和山公園に残されていた1813年建立の常夜燈には、播州坂越と小豆島小部の寄進した人の名が並んであり、酒田の歴史の副読本でこれが紹介されていました。

 ゲストの南堀さんの代表作『奇跡の医師』は戦前、上海で活躍された頓宮医師の人間模様が描かれ、日本人中国人の区別ない診察は、戦後帰国してからの小豆島での医療でも変らなかった事が描かれていました。

この「すすめ!北前船」は、「明楽みゆきのチエンバロ浪漫紀行」の後半で放送されています。放送は、毎金曜日の14時からfmしろいし局から放送されています。 無料アプリ日本ラジオのダウンロードで、北海道→FMしろいしで全国どこからでも聴けます。

文:矢竹考司

2022-02-11

和船の特長

2018年1月19日放送「明楽みゆきのチェンバロ浪漫紀行」
ゲスト:神奈川大学 常民文化研究所 昆政明特任教授

 ゲストは、「みちのく丸」の帆走に関わった神奈川大学の常民文化研究所の昆政明特任教授です。今回は、1枚帆、ろくろ、固定されていない舵、甲板がない4つの和船の特長の話から帆船時代の人々知恵が見えてきます。

 大きな一枚帆、大きな舵は、風に向かって速く走れていた事を「みちのく丸」の帆走の実験で確認していたのがわかりました。甲板がない事は、荷を積みやすくこれが木材の運搬には便利だった事から、青森では昭和の初めまで和船が活躍していた話もありました。この話を以前放送があった「青森ヒバ」の話に明楽さんは繋げていました。甲板がなかった和船に、航海の危うさを感じますがこの不安を、「風待ち港」の昔の知恵は、安全を確認していた時代をわかりやすく解説されています。その「風待ち」は、10日2週と続く事が多かった事から、商売だけではなくそこで人との交流や文化が伝わっていた話は、まさに昆氏の民俗学の範疇でまだまだ話す事がありそうでした。 今回も、なかなかわからなかった和船の特徴をわかりやすく解説されていました。

この番組は、お話の合間に明楽みゆき演奏チェンバロの音色が流れています。
無料アプリ日本ラジオのダウンロードで、北海道→FMしろいしで全国どこからでも聴いていただけます。

文:矢竹考司