ラジオ番組「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」 

北前船プロジェクト活動内容のご報告

報告日付報告内容
2022-02-13

ラジオ放送100回を超え、深く感謝申し上げます。

2018年12月28日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」

去年2017年5月からの「電波でつなぐ北前船」のこのFM放送は、『進め北前船』のコーナーで、ゲストの方々の故郷の北前船の想いを伝え100回を超えています。 この中から、北前船寄港地が日本遺産に登録された38市町から選ばれた、「北前船こども調査団」の話から、故郷の北前船への想いをジオラマで子供達に伝え繋げた話もあります。これは、石狩市の元校長だった石黒龍一さんの2回の放送で紹介されました。それは下記のブログを御覧下さい。https://chopini.hatenablog.com/entry/2018/04/11/174656 

 これに先立ち、2010年に立ち上げた「現代版北前船プロジェクト」では、一番最初に挨拶に行った、江差町長の暖かい励ましの言葉を紹介しています。これが先週の江差追分会館の話になります。

 今回は前半から、江差観光ガイド協会で開陽丸のガイドをされている西海谷優子さんのインタビューになります。 西海谷さんは、平成2年に復元された原寸大の開陽丸の江差での物語を実感を込めて語り、今もその足跡が残る江差を紹介しています。 後半の『進め北前船』では、日本遺産の構成文化財の「江差追分」の最初を西海谷さんがラジオで披露しています。 今回は、これを12月31日に紹介します。> このfm放送は、スマホ等から日本ラジオをインストールしていただければ世界中でどこからでも聴く事が出来ます。

文:矢竹考司

2022-02-13

江差 酒田 北前船で繋がるご縁

2018年12月20日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:酒田市在住 豊岡紘子さん

ゲストの豊岡紘子さんは、19年前まで江差で暮らし小学中学の教員をされ、退職後は母校江差高校で臨時教員、開陽丸のガイドとして活躍されていました。 こうした事から、江差の京都に似た建物、京文化、姥神大神宮祭の話には実感がこもり、同じ想いの明楽さんは話が弾み、江差追分会館でチエンバロ演奏の合間の北前船講演は、照井町長の協力で盛り上がったとその感動を振り返っています。

 昭和61年江差商工会議所の方の発案で、淡路島から江差に行く途中、酒田に辰悦丸が3日寄港。この時、江差追分を江差の方が、大信寺で涙がらに披露し、これがNHKで放映され、江差では町民あげて応援し、豊岡さんが江差追分を踊ったと語っていました。

 今月江差から、日本遺産の研修で瀬戸内海の坂越に来られた人の中に江差で辰悦丸に尽力した方の妹さんからもこの話を聞きました。 江差から来られた9名の殆んどの方が、豊岡さんにお世話になったと話していました。 尚、江差町役場の紹介で28日のゲストは、開陽丸で案内をされている西海谷さんで、坂越では江差追分の初めの部分を披露してくれました。

 2011年、娘さんが暮す酒田に移住して観光協会でガイドされ、北前船が縁で多くに出合いがあったと言っていました。 2016年、酒田観光協会に北前船に詳しい方にとガイドをお願いしました。 酒田駅で待ってくれた方が豊岡さんで、町歩きの前に、日和山公園の文政10年の常夜灯にある播州坂越の文字を書いて見せてくれ放送でも紹介がありました。その時は、荘内日報の「北前船航路の旅―日本海の風景」シリーズ70回分も見せてくれました。寄稿した高橋秀彦氏(東北公益文化大学名誉教授)が、日本海の港町を旅しそれを絵と紀行文で紹介したもので、この企画展が今年ありました。(下記のURLで紹介)http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2018:04:25:8493 

 2017年には、北前船と縁がある江差町の民謡愛好者の方々との橋渡しをしています。「江差三下り会」(会長・照井誉之介江差町長)の13人が酒田追分等の案内した豊岡さんの記事は下記のURLにありました。http://www.shonai-nippo.co.jp/cgi/ad/day.cgi?p=2017:10:27酒田は、日本遺産に登録に続き、西郷隆盛、河村瑞賢、松尾芭蕉、外国船も寄港し新旧の魅力が沢山あると語っていました。このfm放送は、スマホ等から日本ラジオをインストールしていただければ世界中でどこからでも聴く事が出来ます。

文:矢竹考司

2022-02-13

夕張 炭鉱で働く人の為に造られた酒「北の錦」

2018年11月16日放送「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:夕張市 小林酒造 小林精志専務

 ゲストは、夕張市の小林酒造の小林精志専務です。 初代小林米三郎氏は、新潟から札幌に移住し新潟の米を使い明治11年酒造りを始めている。寒すぎる北海道では、発酵させるのが難しく撤退した酒蔵は数多かったと、発酵させる苦労を語っている。

 そこで新たな作戦として、石炭のエネルギーに着目し炭鉱がある夕張に引っ越しする。 夕張では、何度も炭鉱に足を運び専属の契約を結び、栗山町の炭鉱近くで酒蔵と、瓦、レンガ工場を建設。 その為に、新潟から専門の職人を招いている。 こうして石炭の熱で瓦とレンガの建物で保温し、厳寒の北海道で米の発酵に成功させ、そのレンガの建物は今も残っている。 この酒は、この炭鉱で働く人の為に造られ、『北の錦』の名は、炭鉱で働く人達の為につけた名前だったと。 炭鉱の仕事は、危険で重労働で『北の錦』は、働く人達のエネルギーと癒やしになった酒になっていたと語っています。

 3代目になってしばらくすると、夕張炭鉱は閉鎖され、その苦労の中で新たな企画に挑戦している。 その一つは、本州米から北海道米に徐々に転換し、ついに北海道産米100%を使った清酒に成功。 しかし、生産量や従業員も激減し、量より質のこだわりや、地元農業と協力し合う話がある。 この放送を聴くには、スマホの無料アプリから日本ラジオをダウンロードして頂く必要があります。

ホームページ:http://www.kitanonishiki.com

文:矢竹考司

2022-02-13

佐賀 『ブラタモリ』世界の有田焼

2018年11月9日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:佐賀県有田町立 九州陶磁文化館 鈴田由紀夫館長

 前半の『ブラタモリ』の有田焼の話*に続き、後半の「すすめ!北前船」は、佐賀県立九州陶磁文化館の鈴田由紀夫館長です。2018年は、明治維新150年の年で佐賀県でも150年を記念した関連イベントがあり、北海道とゆかりのあるイベントがいくつかあると話しています。
※前半の内容は下記リンクのブログをご覧ください。

 北海道でも命名150年の記念行事があると明楽さんが紹介しています。 佐賀県有田町では、11月21日(水)~25日(日)「第14回秋の有田陶磁器まつり」があり、開催中は1日50名様限定でおにぎりを買った方に無料で三平汁を毎日提供し、有田焼の「なます皿」でふるまわれると。 なます皿は、江戸後期から明治にかけて北前船で北海道に大量に運ばれていた15センチ程の深めの皿で、 三平汁は、塩漬けした鮭等の魚と根菜を煮込んだ北海道の郷土料理だと語っています。

 この「進め北前船」では、これまでにも北海道の郷土料理(石狩鍋、クジラ鍋、カジカ鍋等)をゲストの方々の紹介がありました。 この場面で料理を引き立てる器に、北前船で運ばれた有田焼のなます皿が使われていた話は初め聴きました。 鈴田さんは、初めて三平汁を試食した感想を語っていますが、佐賀では三平汁を食べる習慣がなかったと。 そんな中で、北海道の郷土料理の三平汁を有田で再現させ、有田焼の「なます皿」で食べる企画は、まさに有田の明治150年の記念事業です。 この企画に加え、松前町から専門の講師の方を招き、なます皿や流通(北前船)の歴史の講演がある話があります。  鈴田館長も講演すると話されている事から、北前船と有田焼から松前町と有田町の距離が縮まりそうです。

 この他、佐賀市の「肥前さが幕末維新博覧会」が来年1月14日迄開かれている話があります。 ここでは、北海道と命名した元佐賀藩主の島義勇が話題になります。 この6月北海道神宮に行った時、島義勇の文字があちらこちらにありました。 北海道には、島義勇の銅像が2つあると明楽さんが放送で語っていますが、 佐賀で初めて島義勇の銅像が佐賀城公園に建立され、その除幕式が昨日(11月11日)あったと、佐賀新聞が報道しています。北海道知事のfBには、昨日の除幕式に出席した写真とコメントがありました。 北前船と有田焼、そして島義勇が縁で、佐賀県と北海道の明治150年記念事業から新たな発見がありました。このFM放送は、北前船寄港地13ヵ所で収録放送されます。 無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければどこからも聴けます 。

文:矢竹考司

2022-02-13

沖縄の砂糖と北海道の昆布との関係

2018年9月28日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:函館 「橋谷株式會社」代表取締役社長 橋谷秀一氏

 ゲストの橋谷秀一さんは、函館の「橋谷株式會社」の代表取締役社長です。 橋谷(株)は、1895年(明治28年)に曽祖父が今の石川県加賀市小塩町から北前船で函館に移り、タバコ、雑穀等の行商を始め、今年で123年、橋谷社長は4代目で就任5年程だといい、現在は、砂糖や小麦粉、食用油などの卸問屋として事業を展開しています。

 橋谷さんが、自分の会社のルーツを調べるようになったのは、社長に就任して創業した先祖の想いを知りたかったからと語っています。かつて北千島にも事業所があり、自社の廻船で昆布や鮭を故郷の加賀や沖縄に運び、沖縄の黒糖を北海道に輸送したのが最近わかった話から、北前船の買積み商法だったのがわかります。 かつては、6隻の船を所有していた事もわかり、琉球王国の沢山の名刺、明治時代の世界地図の発見で日本の活躍していた地域が広かった事もわかり、橋谷家の活躍地域がもっとわかるかも知れません。
 一方、先祖の小塩町は、加賀橋立に近く北前船資料館も近く北前船で活発に活躍していた地域でした。 この小塩町より10キロ程内陸部の河南町に、橋谷家の足跡が、この地区の遠縁の方と4年前の出会いでわかり、函館の橋谷家と関連を紹介しています その方の先祖は、瓦屋さんでこの瓦が函館の橋谷家の瓦の一部だった事がわかり、この日、最初の放送で紹介した夕張の小林酒造の瓦の一部と関連するかもしれないと、そうだとすれば、加賀から北前船で運ばれていたものと語っています。

 4年程前、河南町の菅原神社に行った橋谷社長は、玉垣に函館の人の名、そして橋谷家の名も発見し、河南町と函館がつながっていたのもわかった事を紹介しています。 まだ未解明の膨大な資料があり、これからの解明に小樽商科大学の高野康弘学術研究員の協力の話がありました。新たにわかれば、この放送にお招きしたいと明楽さんは言っていました。

 今回放送で発見した事は、北海道と沖縄の直接の繋がりでした。 それは、北洋漁業ですり身などの水産加工業で保存料として砂糖を使用するので、函館、釧路では水産で膨大な砂糖が必要だった話があり、沖縄の砂糖と北海道の昆布との関係は面白いと思いました。 このFM放送は、北前船寄港地13ヵ所で収録放送されます。 無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければどこからも聴けます。

文:矢竹考司

ホームページ:https://hashiya.jp/index.html

2022-02-13

伊勢神宮の御塩道の活性化の取り組み

2018年9月21日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:伊勢市 四日市研究機構環境技術研究所研究員 東村篤氏

 8月から数週にわたり塩の専門家が登場し塩の話をしています。瀬戸内海から赤穂塩、日本海側の珠洲市から能登の塩、そして赤穂塩のブランドの例から、長岡藩の財政改革をした河合継之助の精神を、北前船寄港地フォーラムから紹介しました。 塩シリーズ最後は、太平洋側から伊勢神宮の塩の話で、伊勢市在住の東村篤さんが前半から登場しています。

 東村さんは、四日市大学の教授から今年4月から非常勤講師そして、同大学の環境技術研究所の研究員として活躍中で(放送時点)、伊勢商工会議所主催「検定お伊勢さん」の検定上級資格をもち、伊勢の観光案内で来春デビュー予定とか。この上級検定の難しさも語っています。 前職が、39年間も証券会社で活躍していたと知り明楽さんは驚いていました。 27年ぶりに実家の伊勢に戻り、かっての伊勢の二見の賑わいが、東日本大震災後の臨海部の落ち込みを見て、二見の『御塩』の塩道でブランディングで研究会を立ち上げたと。

 こうして伊勢神宮の御塩道の活性化の取り組み、二見の御塩について語っています。 二見は、海水から塩を取り入れする所として、堅田神社等の塩に関わる神宮の御塩にまつわる神事を紹介しています。 1498年の地震による大津波で、この浜郷の塩田に大きな影響を与えますが、伊勢神宮での御塩は神事として続けられ、今も年間1500の神事催事があると。

 塩田は、古式入り浜塩田で毎年5月と9月の5日、12月半ばの締め縄を替える神事も紹介しています。伊勢の塩田は、江戸に入り商業用も復活され、神事の二見の御塩と共に、塩、米等の一時産品の大切さを語っています。

 後半の『進め!北前船』は、三重県出身の二人、西廻り航路を開発した河村瑞賢、北海道と命名した松浦武四郎の話から始まり、東村さんが教授をしていた四日市大学で研究がすすんでいる関孝和も紹介しています。 南伊勢町の出身の瑞賢の像は、酒田と南伊勢町にあるものの、だんだんと忘れられようとしていると。 そんな中、南伊勢町教育委員会では、小学5年生を主に社会科の教材として『河村瑞賢』を発行していると。 72ページのこの教材のタイトルは、「商人をこえた日本の偉人」で、瑞賢の異才ぶりをわかりやすい例から説明しています。

 東村さんは、13歳で江戸に出た瑞賢が江戸の大火の時、木曽の木材で財を成したと語っています。 この教材には、江戸で大火に遭遇した瑞賢はすぐに木曽に行き、僅か10両の資金で木曽の材木に瑞賢の印を押し、大火で買い付けに来た江戸の材木商に高く売り、莫大な利益を出したエピソードが書かれていました。

 瑞賢は、伊勢商人で近江商人や大阪商人と並び商才にたけていたようで、その背景に寺子屋等教育に力を入れ、関孝和の話から和算を紹介しています。 こうした事から、伊勢発祥の企業は数多く、イオンや岡三証券等多くの企業があります。

 東村さんが、岡三証券で定年まで勤め、伊勢市には証券人口が多いと紹介した背景がよくわかりました。 瑞賢は、今年生誕400年!松浦武四郎が蝦夷から北海道と命名して150年目になります。 松阪城跡近くの松阪市役所には、松浦武四郎生誕200年!の垂れ幕がありました。 収録放送は今週の木曜日のfm七尾を皮切りに、北前船寄港地13局で放送されます。無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-12

能登に残る日本唯一の揚浜塩田

2018年8月24日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:珠洲市 道の駅 奥能登塩田村の経営責任者 横道嘉弘氏

 ゲストは、珠洲市の道の駅で奥能登塩田村の経営責任者の横道嘉弘さん。前半は、チェンバロを通じて、北海道から九州まで日本海や瀬戸内海の方々との交流を語っています。先週の赤穂塩の話から、舞鶴の塩くみ踊りで地域起しをした話の後、北前船で運ばれた積み荷の茶箱の話から、京都の和束茶の話になります。横道さんは、『能登の揚浜式塩田』を出版され、北前船シリーズ11回に2016年11月に投稿して頂いています。
http://sakosi-kitamaebune.hatenadiary.jp/…/01/04/205538 

 能登の塩作りは、奈良時代からで江戸期に入り加賀藩の保護政策の時代の製法と殆ど変わっていません。 経営は、家族単位で朝早くから天秤棒で大きな桶に運び、その海水を砂に撒き、砂が乾くと箱に入れそこに海水を入れ、釜屋で20時間程煮込む。 天秤棒で18回も運ぶ!これだけも重労働で量産は難しいのがわかります。

 この塩田村では、天秤棒で海水を運び、砂にまく所まで体験が出来き、塩の資料館がある事から、夏休みは全国からの子供達で賑わっています。 NHKの朝ドラ「まれ」の舞台になってから、生産が追いつかず通信販売が出来なくなったと。現在アマゾン等で販売しているのは他社のもの。 この塩は、梅干し、おにぎりにすれば、その違いがわかると紹介しています。 この自信から、自社の塩をフランス料理の巨匠三国清三さんにパーティーの時に渡していました。

 1959年、全国の揚げ浜製塩は禁止されますが、角花家の強い希望で唯一残り、それを守るのが隣にある奥能登塩田村。 横道さんから頂いた『揚浜式塩田』には、塩釜の事も詳しく書かれています。 珠洲市の南の穴水町は、鉄の鋳物の産地で平安時代に編纂された『新猿楽記』の歌の中で、諸国の特産物を都でも古くから鉄釜が能登の名物だった記述があります。また、富山からくる鉄釜に苦慮した事も書かれていました。

 加賀藩では、1605年高価な鉄釜を12年の契約で835枚貸し付け、1737年には2000枚貸し付けていたと。 加賀藩が、鉄釜でも塩生産を支援していたのがわかります。 鉄釜から、能登では真塩が作られ、赤穂の西浜塩田と同じ高級品。 当時、瀬戸内海で使われていた塩釜は石釜で、竹原市の学芸員も竹原では明治30年になって鉄釜になった記録があると紹介されました。 加賀藩でも料理には、能登の真塩が使われ、輪島に漆器と共にその料理の名声を高めていたのが真塩だったかも知れません。

 このFM放送は、北前船寄港地13ヵ所で収録放送されます。 無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴けます

文:矢竹考司

ホームページ:https://enden.jp/

2022-02-12

日本一の生産量を誇った「赤穂塩」

2018年8月17日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
青山大学大学院博士後期課程 近世瀬戸内塩業史 赤穂塩研究 千原義春氏

ゲストは、青山大学大学院博士後期課程で近世瀬戸内塩業史で、赤穂塩を研究されている千原義春さん。千原さんには、「坂越の北前船シリーズ10回」に2016年10月に赤穂塩に投稿して頂いています。
http://sakosi-kitamaebune.hatenadiary.jp/…/01/04/202356
 インタビューは、赤穂の塩が北前船で運ばれていた事について、どうなんでしょう?との問いから始まります。

 これに対して赤穂の塩は、江戸、上方(大坂)が9割以上との応えにびっくりしていました。赤穂塩は、日本一の生産量を誇った時代があり、北国への塩移送は、1%もなかったかもしれません。ただ日本海の赤穂塩の実態を調べてた文献がなかっただけかもしれません。 それは、日本海側の市史や県史は、どこも播磨塩と明記され赤穂塩の表記がないのです。 瀬戸内10州塩田でも赤穂塩の表記でなく播磨塩の記述にその原因かもしれません。 生産量からみれば運んでいた赤穂塩はわずかでも、そのあげた利益に驚きがあるのは、価格差に大きな原因があったと考えています。

 坂越の廻船は、竹原、三田尻の塩に加えて、北國の北前船の活躍で利益が出なくなり1810年代から西周りの北前船から撤退しています。江戸へ塩を専用に輸送する「塩廻船」に転換してからは廻船の利益は、運んだ量から考えて驚くほど激減しています。 この時代は、太平洋側で樽廻船が塩廻船と同じ専用輸送、菱垣廻船が賃積み輸送と、商社的な機能があった北前船の本質的な違いが、日本海と太平洋であったようです。

 上方や江戸では、赤穂藩の「入り浜式塩田」の塩はブランドで、大阪で食文化に貢献しブランドになりダシ文化に貢献しています。 元禄の高度成長期になると瀬戸内海では、次々に入り浜式塩田が誕生し、生産過剰から塩田不況に陥いります。この塩田不況を、藩を超え広域で塩田を休ませる協定を結んだ事を紹介しています。 この提案をしたのが三田尻で、それは三田尻塩が北國地域に一番近いからだと。 北國へは、冬は活動しないので半年休ませたのに対して、赤穂は大消費地大阪に近くブラントだった事から需要があり50日程度休んだと語っています。
 この番組では、日本海側能登から「揚げ浜式塩田」伊勢市から、太平洋側の塩を紹介します。またこのFM放送は、北前船寄港地13ヵ所で収録放送されます。 無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴けます。

文:矢竹考司

2022-02-12

河野の歴史が染み込んだコーヒー 「北前コーヒー」

2018年8月17日放送「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」

  今回は、北前船で運ばれたコーヒー糖の話である。朝日新聞8月13日夕刊一面トップのコーヒーの記事から、稚内のコーヒー豆の石碑の話。記事は、江戸後期「コーヒーが寒気をふせぎ、隠邪を払う」と弘前藩などから蝦夷地の警備に派遣された人たちに、くすりのように飲まれていたと。

 鎖国下、長崎の出島から「コーヒー」も津軽まで運ばれていた。 明治に入り南越前町の右近家が、コーヒー糖を大阪から北海道まで運び北前船が伝えたコーヒー文化を語っています。 先月の坂井市の北前船寄港地フォーラムで北前コーヒーが販売されていた事も紹介している。 このコーヒー糖について、2016年5月4日の日刊県民福井新聞に詳しく報道されている。 それは、南越前町の図書館で保管される右近家文書21000点の文書の中に、右近家所有の船の一つ永宝丸の仕入れ記録にコーヒー糖があり、「買仕切」と売った記録「売仕切」を右近さんが発見している。 右近さんは「コーヒ糖はどんなものか分からないが、船頭は北海道の得意先へのお土産として買い取ったのではないか」と記事にありました。
 更に、帳簿発見のきっかけになった「北前珈琲」は、北前船主の館離れにある観光案内所のカフェで一日限定十杯(一杯750円)で復刻販売されており、担当の竹森政人さん(35当時)は、「河野の歴史が染み込んだコーヒーを味わいに来てほしい」と話していた。 竹森さんは、7月の坂井市での北前船寄港地フォーラムで、北前コーヒーを多くに方に知ってほしいと格安で販売していた。後半の「進め北前船」は、江戸期の塩シリーズから赤穂塩を専門に研究されている方です。

文:矢竹考司

2022-02-12

根室 日露の問題を平和的に解決した嘉兵衛

7月20日放送 「チエンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:根室根室金比羅神社の前田康宮司

 ゲストは、日本最東端の根室から。根室金比羅神社の前田康宮司で、この神社を212年前に創建した高田屋嘉兵衛のインタビューに応えています。

220年程前、辰悦丸の建造から根室を拠点に北方のエトロフ、国後島の航路や漁場の開発で嘉兵衛は巨万の富を築いています。 この後、ゴローニン事件が起こり、嘉兵衛はロシアに拿捕され1812年カムチャツカに連行されています。  連行したのはリコルドだったが、嘉兵衛との信頼関係が生まれ この友情が、鎖国下の日本とロシアの関係悪化を平和的へと解決する事になります。 これが、神社創建180年を記念して1986年に嘉兵衛の銅像の建立につながたっています。

 根室の人達は、日露の問題を平和的に解決した嘉兵衛に願いを込め、お金を出しあい銅像を建立したと前田宮司は語っています。 ロシアでも 2006年8月、カムチャツカのナリチェボ自然公園内にある無名の山に、ゴローニン山、リコルド山、そして嘉兵衛岬の名前が付けられ、地図に日本人の名前が刻まれたのは史上はじめてだと。

 根室に今も残る嘉兵衛の足跡は、穂香金比羅神社に奉納された「願主 高田屋嘉蔵」(嘉兵衛の弟)と書かれた一個の鈴だけと紹介しています。 かつての国後島の泊神社、エトロフには4社を嘉兵衛が建立した神社を含め、北方4島には65社の神社があり11社のご神体が、戦後この神社の移され毎年例祭が斎行されています。納沙布岬の海岸線には、「返せ!北方領土」の文言やタテ看板がいたる所にありました。 根室市民の方々の悲願を、別の言葉の表現はないものかと、そんな言葉が納沙布岬で聞こえてきました。 金毘羅神社の御朱印の横に「祈返還 北方領土」の朱印が別に押され、根室のみんなの悲願なのがよくわりました。 

根室でいつか北前船のフォーラムを開かれる事に期待しています。このFMの収録放送は、この木曜日のラジオ七尾を皮切りに北前船寄港地13局で放送されます。無料アプリ日本ラジオをダウンロードして頂ければ聴いていただけます

文:矢竹考司