ラジオ番組「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」 

北前船プロジェクト活動内容のご報告

報告日付報告内容
2022-02-18

金沢 北前船史上最大の豪商

2021年1月22日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
石川県「銭屋五兵衛記念館」 田中重之氏

「銭屋五兵衛記念館」では、銭屋五兵衛の生い立ちから晩年に至るまでの偉業の数々をシアターで、北前船実物1/4の模型、商圏マップ検索装置などで学ぶことが出来る。田中さんは、今月31日まで開催している企画展「日本遺産追加認定一周年記念『北前船の誇り』」を紹介している。金沢の「北前船寄港地船主集落」の日本遺産構成文化財10のうち、2つがこの記念館にある。

 一つは、専長寺の松帆榭の旧銭屋五兵衛の隠居所にあった茶室をこの記念館横に移築した。もう一つは、この記念館に保存している「 [銭屋五兵衛家年々留附留帳](古文書)で、殆ど五兵衛の自筆である。「銭屋」は屋号で、六代目の吉右衛門から両替商を営んでいた事から称した。
 五兵衛は、安永2年(1773)、日本海に面した金沢の金石町に生まれ17歳で家督を継ぎ、問屋(呉服、古着商、木材商、海産物、米穀)から新たに海運業に本格的に乗り出した。 それは50歳代後半からで、江戸、大坂、青森、等34に及ぶ支店を持ち、大小200艘の大船団を擁した北前船史上最大の豪商だった。 五兵衛は、買い積商法で最も大切な価格や商品情報を得る仕組みを確立していた。
 各地の得意先商人と全国的なネットワークをつくり、農水産物の生産状況、価格の変動などを、頻繁に便船、飛脚に託して掌握している。 また松前藩の場所請負制は、積丹半島より北に入れない原則だったが、五兵衛は北海道最北端の礼文島を拠点にロシアと密貿易をしていた。
 昭和に入り、礼文島の人たちが銭屋五兵衛門を偲んで建立した記念碑も紹介している。金沢城(日本100名城)を藩庁とする加賀藩は100万石だったが、財政難に陥っていた。この財政の建て直しのために藩は、しばしば豪商たちに資金調達を命じている。 五兵衛は藩の重臣である年寄奥村栄実の要請に対する見返りに、加賀百万石の御用船として全国諸港を自由に航行できる「永代渡海免許状」を与えられた。 加賀藩の後押しを得て、藩営商法による販路の拡充を確立させた五兵衛は、加賀藩の金融経済の大切な役割を果たした。 しかし晩年、河北潟干拓事業に着手した際、反対派の中傷による無実の罪で、嘉永5年(1852)獄中で80歳の生涯を終えた。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

「島根の土、植物、魚等を加工して付加価値をつけ、各地に運んだ先人の知恵と勇気を、伝えたい」

2020年12月25日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:島根県立益田翔陽高校 地理教諭阿部志朗氏

阿部教諭提供の浜田の江戸期の絵図にある「北前外海」は、「北前船」の語源を考える際に「最重要」史料の一つと前回の放送で紹介している。浜田市在住の阿部教諭は、2019年度の「浜田城開府400年記念行事」の最後を飾る「第30回北前船寄港地フォーラムIN浜田」(2020年3月)で、講演予定だった。残念なことにコロナで中止になったこの講演内容を語っていただいた。

 浜田の北前船の活躍を示した10冊以上の客船帳があり、『諸国御客船帳』(日本遺産構成文化財)には、加賀 越前、北海道、東北、九州、北陸、四国など全国各地の江戸から大正初めまでの入船記録がある。 阿部さんは、掲載された地域に行って石見焼や石州瓦を探し、その足跡を講演をする予定だったという。

 続100名城の浜田城は、1619年海に面した地に築城し城下町をつくった。この城下町の繁栄を支えたのが北前船だったようだ。 しかし幕末、長州に攻められ石垣だけが残った。 この地方は、石見の名のごとく石ばかりの地で田畑が少なく、古来より交易と特産品で栄えている。 江戸時代前期の特産品は、鉄、和紙、干物、麻後半になって、石見焼、石州瓦、が加わり、この売却資金で東北の米、瀬戸内の塩、九州の砂糖などを買っている。 “はんど” と呼ばれる水甕や、大型のすり鉢などの “石見焼” や “石州瓦” は、他の特産品と違い150年たっても各地に残っている。 小樽の博物館にもその足跡があるという。
 島根の職人が、小野田(山口)、尾道、福知山等に出かけ石見焼、石州瓦の技術を伝えた例から、物だけでなく舟運と北前船を通した人の繋がりもわかるという。 

 阿部教諭に、明楽さんが次の世代に何を伝えたいかとの問いに、「地方は何もないとか、面白くないという風潮があるが、島根の土、植物 魚等を加工して付加価値をつけて各地に運んでいた先人の知恵と勇気を伝えたい」と答えている。 阿部さんは、北前船と河川舟運が連結した物流の実態の研究者でもあり、教育の現場で活かしている。 石狩川, 岩木川, 米代川, 雄物川, 最上川, 信濃川, 阿賀野川, 庄川, 円山川, 手取川(白山市)などでも石見焼の調査しており、今後の研究が楽しみである。 最後にある白山市は、今年『北前船寄港地船主集落』で日本遺産で追加認定された。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

福知山城 京都府無形民俗文化財「丹波の漆掻き」

2020年12月18日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:福知山市 文化財保護係 松本学博氏

福知山城は続日本100名城で、明智光秀が天正7年(1579)築城し、明治の廃城令で取り壊わされた。寺社などで使われていた石塔等の500程の「転用石」が使われた野面積の石垣は現存し、市の文化財になっている。光秀は市民から慕われ、城再建の機運が高まり昭和61年(1986)に復元された。城の近くに光秀を祀った『御霊神社』がある。

 由良川と土師川(はぜがわ)の合流地点は氾濫が多く、光秀が由良川に堤防を築いた伝承があるが一次資料では確認できていないと松本さんは語っている。 氾濫が多い由良川近くに、堤防を築き築城したのは、舟運が必要不可欠だったようだ。 川沿いには、川の港を意味する「天津、高津江、常津」などの「津」の地名、船着き場を示す「舟渡」の地名も残る。

 17世紀西廻り航路が活発になると、福知山を起点に由良川の河口の神崎湊まで綿・茶・漆・紙等が運ばれ北前船に積まれた。 藩の特産品になった「丹波漆」は、1300年ほど前には税として納められており、福知山藩が夜久野町で植栽を推進し、漆の増産を奨励した。

 平成3年「丹波の漆掻き」が京都府無形民俗文化財に指定された。 「藍」については、京都の松尾大社の荘園が福知山にあり1473年にこの地の荘園の人々が松尾大社へ藍を納め、1496年には浅葱色(明るい青緑色)に染めた布を納めたという記録があり紺屋町の地名が残っている。25年程前から藍同好会ができ、由良川の藍の栽培に成功し技術と伝統が継承されている。 大河ドラマ『麒麟が来る』が、来年2月初めまで放送がある事から「福知山光秀ミュージアム」が2月7日まで開かれている。
 この大河ドラマでよく見る光秀の家紋「桔梗」は、福知山の市の花に制定されている。 放送の後調べると,由良川河口の海岸一帯には、揚げ浜式塩田があり、この塩や、各地から運ばれた品が高瀬舟で上流の福知山にまで運ばれている。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

松江城 破綻寸前の財政を立て直した、7代目藩主「不昧さん」

2020年12月4日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:松江歴史館 主任学芸員 新庄正典氏

日本100名城の松江城は関ケ原の戦の後、太田川河口の宍道湖に面した地に、松江城は築城された。お堀には4つの橋がかかり、30分ほどかけて遊覧船で楽しめる。 城を出て北惣門橋を渡ると家老屋敷風の「松江歴史館」がある。ここでは、国宝の天守や町の移り変わりを、映像、模型、書割、切り絵等で展示している。

この松江城が完成(1611)する前、初代堀尾忠が亡くなり、その後も次々と藩主がかわった。 1638年松平直政(家康の孫)が入封したが藩財政はひっ迫していた。 6代目から改革がはじまり、7代目(1767~)松平治郷が藩財政を好転させた。治郷は、茶道に精通した人物で、「不昧公」「不昧さん」の名で知られ、この歴史館では、和菓子の実演販売があり茶室も設けられている。
治郷は、薬用人参 (高麗人参)を雲州人参として栽培や、特産品の「たたら製鉄」を鍋や釜等の製品にして美保関から長崎経由で清国に輸出する政策などで財政を立て直しに成功する。 この他ハゼの木の実を加工したロウソクを美保関から、北前船で大坂などに運んでいる。

  歴史館の近くの「松江ホーランエンヤ伝承館」では、1648年から10年に一度の船神事をVTRで観ることができる。 約100隻の船が、大橋川と意宇川を舞台に繰り広げられ、5つの地区が競って 5隻の櫂伝馬船の上で、豪華な衣装で櫂伝馬踊りを披露する。  『ホーランエンヤ祭』として知られ、正式には松江城山稲荷神社式年神幸祭である。(藩主松平直政が、松江城山稲荷神社の御神霊を阿太加夜神社へ神輿船で運び祈祷したのが始まり) 大阪天満宮の『天神祭』、広島厳島神社の『管絃祭』、と合わせて日本3大船神事。 新潟から伝わったもので、日本海、九州、瀬戸内海の北前船の寄港地には似た船祭りがある。

 松江歴史館では、企画展「出雲国を彩るかざり」が2020年12月4日から来年2月7日まで開催しており出雲ならではの物が展示していると新庄さんは語っている。

松江歴史館HP: https://matsu-reki.jp/

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

島原 日本で最初にクリスマスを祝った町

2020年11月27日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:島原市 島原城史料館 専門委員 松尾卓司氏

島原城は日本100名城で、キリシタンの史料や、港町だった時代の郷土史料が展示されている。松尾さんは、郷土史家で『島原半島の歴史』など多数の書籍を出版され、日本の西の海の玄関口、島原の海がつなぐ人と文化をはなしている。有明海にある島原半島にキリスト教が伝わり、この地方のキリシタン大名有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年は、ローマ法王に長崎 島原をラテン語で報告している。この天正遣欧少年使節団は、西洋楽器や印刷機を持ち帰り(1590年)キリストの文化を広めている。

 明楽さんも、この少年使節団が訪れたイタリヤ(ロレート)でチェンバロを弾いた日の感動を振りかえっている。 島原は、クリスマスを日本で最初に祝った町で、今もクリスマスはコーラスで再現している。 江戸に入るとキリシタン禁止令により、厳しいキリシタン弾圧から天草四郎の乱が起こり、住民の6割が命を落としている。その後、譜代大名が島原城に入封し(1638年)キリシタンの監視にあたった。 この島原の乱(1637年)から、南蛮貿易等海外交易は途絶えたが、沿岸航路の一拠点として口之津湊は発展している。
 大牟田の石炭の専売権を得、島原城下の口之津湊(現南島原市)から、瀬戸内海の塩生産地に燃料として石炭を運んでいる。 明治になると三池石炭の海外積み出し港として、再び世界に開かれ大牟田に三池築港が完成するまで賑わった。 40軒の廻船問屋で栄えた口之津湊には漂流した記録が多く残る。 漂流しメキシコから無事帰還し、世界を見た太吉。一方、日本に帰国できなかった力松は、おそらく香港で余生をおくりぺリー来航の情報を提供した。 明治に入るとカナダに漂流し移民第1号の永野万蔵の存在も語っている。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

新発田城 越後で唯一、幕末まで藩主を務めた溝口家

2020年11月20日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:新潟県新発田市立歴史図書館 副参事 鶴巻康志氏

新発田城 は新発田氏が築城したが、江戸にはいると加賀大聖寺から初代藩主溝口秀勝氏が入封し、越後で唯一幕末まで同じ家系が藩主をつとめた。新発田市の市章も、この溝口氏の家紋が使われている。

 新発田藩主溝口氏などの古文書が豊富に残されていた事から、新発田市立歴史図書館では、これらの資料を展示している全国でも珍しい歴史に特化した図書館である。 この歴史図書館は、新発田城(日本100名城)の近くにある。二の丸帯曲輪に、堀部安兵衛の像が江戸の方角を向いて建てられている。 中山安兵衛武庸は、父親が管理者だった櫓の不審火の責任を取り浪人になった事から、18歳で江戸に出て、家の再興を考えたが、高田馬場の決闘のあと赤穂藩堀部家の養子なる。 新発田市は、郷土の義士安兵衛を顕彰していることから、歴史図書館で赤穂義士に関係する資料を「堀部安兵衛文庫」として公開している。

 話は変わり、鶴巻さんは「正保越後国絵図」から河口の湊の話を展開する。   1640年代までに作られた絵図によると、阿賀野川と信濃川は河口で合流していた。 新潟に似た、川の河口に立地する都市は日本海側では、秋田、酒田、金沢などが広く知られている。 かつての平野には大小の潟湖が点在し、海岸線にできた砂丘の山が、河川の流路を妨げ雪解けや梅雨の時期になると氾濫していた。

 新発田藩は新たに河口を開削し、湿地帯を整備して新田の開発を行っている。 一方、日本海側には、川と海がつながる河口に湊がたくさんありその結節点で日本海航路や北前船が盛んに活躍している。
 新発田藩の沼垂湊は、江戸期に入ると阿賀野川に移り、信濃川左岸は長岡藩領だった。 河口で長岡藩が、薩摩藩の抜け荷を取り締らなかったため左岸の新潟港付近は天領となったが、沼垂港は新発田藩領のまま幕末まで残った。 尚、沼垂湊は、信濃川から阿賀野川にかわった後も、何度も湊の位置が変わっている。

新発田市立歴史図書館HP: https://www.histlib-shibata.jp/

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-18

福井 三国船箪笥 「沈まない、水が入らない、箪笥」

2020年11月6日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:福井市(有)匠工芸代表取締役 村田浩史氏

今回は『日本遺産に認定された北前船の構成文化財』の紹介です。「三国船箪笥」は、全国で唯一坂井市の日本遺産構成文化財に登録されています。村田さんは以下のようにインタビューに応えています。「三国船箪笥」は、昔は金庫として使われていたが、北前船の終焉と共に生産が途絶えた。船箪笥は、三国の他佐渡・酒田でもつくられていた。この船箪笥を50年ほど前、先代が復元したのだという。

 設計図がなかったため旧家に残っていた古い船箪笥を解体し、試行錯誤を繰り返し完成させたのである。 こうして仕様・素材・意匠も北前船が活躍した時代のまま船箪笥を復元させた。 船箪笥は、船往来手形、北前船で売買で得た小判、仕切書、印鑑等を保管するために必要なものだった。 船が遭難しても船箪笥は水面に浮かび、内部に水が入らない構造になっている。 破船して船箪笥だけが海岸に漂着すると役所に届けられ、家紋や屋号、船往来手形から持ち主がわかるようになっていた。 

 40kg~100kgある「船箪笥」が、何故海に浮かび、中の重要書類が水にぬれないのか?その復元製作工程、容易に開けない構造と仕組みについて、続けて語っている。 船箪笥の中は桐で出来ていて、水にぬれると膨張し気密性が高まるが、これだけでは水に浮かない。 水が入らないようするため、船箪笥の前面は重い鉄の金具で装飾し、水中ではこの装飾金具の重みから前面が下を向きバケツをひっくり返したような構造から浮力が生まれ、船が沈んでも船箪笥は浮く。 
 これを証明するため、平成6年、高さ22m の福井県三国の東尋坊から、復元した船箪笥の投下実験を行っている。 この模様はニュースの生放送で中継され、船箪笥が浮くこと頑丈さを証明し伝統技術を確かなものにしている。 北前船の航海では、四つの箪笥を搭載していたと村田さんの珍しい話が続く。 1枚扉の「懸硯」(かけすずり)、廻船問屋が一番大切にした「帳箱」、中に引き出しが2段ある「半櫃」(はんがい)は商談の時に使う衣装が入っていた。4つ目は机の役割をしていた、「知工箪笥」(ちくだんす)は海に浮ばなかったという。 湊に船が着くと「懸硯」を陸揚げしてレジ替わりに商いをしていた。佐渡の宿根木での宿では、これら4つ箪笥を座敷に展示しどれだけ成功してきたか、豪華なつくりでその格を見せていた。 これら4つを総称して船箪笥と名付けたのが民芸運動家の柳壮悦で、1961年に提唱されたと紹介している。 三国船箪笥は、民芸運動家の柳宗悦が推奨するほどの工芸品だ。 匠工芸が復元した三国船箪笥は、これまで多くの百貨店で「職人の伝統の技」で展示されている。その詳細は下記のHPに掲載されている。
https://takumikougei.co.jp/

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司


2022-02-16

那覇 蝦夷地から薩摩、それから沖縄の昆布座へ

2020年10月23日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:那覇市歴史博物館主幹 学芸員 外間正明氏

これは、那覇市の首里城に琉球王朝があった時代の話。首里城(日本100名城)を含め、「琉球王国の城(グスク)及び関連遺産群」が世界遺産登録(2000年)されている。沖縄のグスク(城)と日本の城との違いは、サンゴ礁の石灰岩の石垣、堀や櫓がない特色があり、中国など大陸の影響をうけていた点である。

 琉球が、王国として独自の貿易ができたのは1609年薩摩藩の侵攻までで、以後、日本の鎖国の影響をうけ中国のみの交易が許されたという。 この交易が北前船に関係していた。 蝦夷地から富山の売薬商人(薩摩組)や薩摩藩の廻船によって運ばれていた昆布は、薩摩から更に沖縄の昆布座に運ばれていた。(薩摩藩の北前船については、幕府が薩摩の廻船を調査した『北越秘説』に詳しい記述がある。)
 当初は銀で交易していいたが、昆布を中心に、アワビやふかひれ等の俵物よる輸出で、中国、琉球、薩摩の中継貿易がさかんに行われ、中国福建省からは、生糸・反物・漢方薬の麝香などを仕入れていた。
 外間さんは、薩摩の御用商人が昆布を一括して沖縄の昆布座に運び、この隣にあった役所で薩摩藩が取り締まりをしていたと語る。 昆布は、市中にも出回り食生活にも影響をあたえていた。 豚肉とともに琉球料理には欠かせない食品になり、富山と並んで国内有数の昆布の消費地だが沖縄には何故か出汁文化はなかった話もある。 那覇市歴史博物館では、再来年本土復帰50年記念の企画展の計画があると紹介している。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-16

芦屋町から 福岡藩の旅行商人

2020年10月17日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:福岡県芦屋町 「芦屋町歴史の里」学芸員 山田克樹氏

芦屋町山鹿にある「芦屋町歴史の里」資料館からの放送です。芦屋町は、博多と小倉の中間にあり、九州北部沿岸で2番目に大きい遠賀川の河口に位置し、遠賀川の東に山鹿、西に芦屋がある。縄文時代からの歴史があり平安時代には、山鹿城を拠点に山鹿兵藤次秀遠が芦屋津の支配者だった。

 筑前最大の勢力で強力な水軍をもつ秀遠の収入源は豊かな遠賀平野と海運からだった。秀遠は、平家に味方し裏切ることなく安徳天皇を最後まで守った人物として平家物語に登場する。これが山鹿素行の先祖で忠臣蔵との繋がりの話も紹介している。
 江戸時代に入ると、黒田長政が入国し福岡藩領(福岡城が藩庁)となり、当初は、藩の城米の海上輸送を、遠賀川の河口港として、藩は重要になる。芦屋の廻船は、まず櫨蝋や栗、卵、綿などの遠賀川筋の特産品を芦屋から伊万里へ運び、そこで古伊万里を仕入れ瀬戸内を大阪へ、更に江戸へ。また山陰、北陸から遠くは蝦夷、松前まで交易に出かけていた。 北海道には芦屋商人の墓があると北海道の学芸員の話として紹介している。 伊万里と芦屋の商人が全国に古伊万里を運ぶようになるいきさつも紹介しいてる。

 密貿易をした黒田藩の御用商人の豪商 伊藤小左衛門が罪に問われるが、この小左衛門に仕えていた商人も、鎖国で輸出が減っていた古伊万里の国内の販売ルートを開発したのが、旅行商人の元と考えられると。 伊万里と芦屋の商人の深いつながりが生まれ、岡湊神社に連盟で大きな石灯篭の奉納をしているが、神武社にも連名での足跡がある。

 旅行商人は、「八月朔日(はちがつさくじつ)」略して「八朔」の文化も運んでいる。 旧暦八月一日、節句の一つで子供の誕生や健やかな成長を祝い、古い瀬戸内海の港町,福山市鞆の浦,尾道、丸亀などにも伝わっている。 また芦屋から津軽にわたった長寿の女性の物語は、江戸でも話題になりベストセラーになる。これが貴船神社に伝わる「ほら貝まつり」で、「芦屋町歴史の里」の資料館に行くとこの「筑前芦屋の民話」の小冊子で見ることができ、山田学芸員の話も聞くことができる。

「芦屋町歴史の里」 https://www.town.ashiya.lg.jp/site/kanko/2363.html

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

2022-02-16

石狩 「八田美津創作人形展」人形から伝わる人々の生活

2020年9月25日 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト: 石狩市郷土歴史研究会事務局長 石黒隆一氏

今回の放送は、「八田美津創作人形展」から人形にかかわるエピソードを石黒隆一さんが案内しています。石黒さん著書『宝船』には、テーマごとに八田さんの人形が登場している。これらの人形から、明治の石狩のにしんに関わった人々の姿がいきいきとよみがえっている。

 北前船の研究家でもある石黒さんは、書籍だけではなくジオラマ製作でも、研究者ならではの視点で北前船を発信されている。作品は、道の駅石狩「あいろーど厚田」に展示され弁財船の他、北前船の到着を喜ぶ人々、ニシン漁場で働きニシン〆粕を出荷する人々を70体の人形でいきいきと表現している。 人形は、人形作家・八田美津さん(石狩市浜益在住)の作品だが、石黒さんは、木工が得意で八田さんと相談しながら、馬橇や餅つきの道具など共同でできた作品もある。

 「佐藤松太郎」の人形が縁で、佐藤松太郎さんのひ孫の方と知り合った話がある。 佐藤松太郎は、私費で厚田に電気を引いたり学校校舎を寄付したりするなど地域に貢献し、後に道会議員もつとめた厚田の大漁業家。加賀の寺谷家と北前船を共同経営していた人物。  石狩では地元を重視した「石狩遺産」の独自の取り組みをしている。 この中の構成資産に「佐藤松太郎文書」や「あいろーど厚田のジオラマ」等がある。 その詳細は下記のサイトからご覧下さい。 (ishikariheritage.wordpress.com
 この「あいろーど厚田」は、去年の北前船寄港地フォーラムのコースになり、多くの方々がジオラマの前で写真撮影をしていた。 「八田美津創作人形展」がこの別室のフロアで11月3日まで展示されている。 八田さんは、生まれ育った浜益の歴史を調べ、絵本や紙芝居にしていましたが、20年程前から、農家の仕事、浜の仕事、家族のだんらん、季節ごとのお祝いなど、いきいきとした人々の暮らしを人形に表現している。 それら自分の故郷の懐かしい情景を人々に伝える人形は500体にも及ぶ。

 石黒さんと八田さんとの出会いは10年ほど前、浜益の小学校に校長として赴任し、地元の温泉で八田さんの作品展に偶然出会ったのがきっかけになっている。 昨年、小樽と石狩で開催した北前船寄港地フォーラムの石狩会場のオープニングイベントで、かつて石黒さんが校長を勤めた浜益小学校の子どもたちが「沖揚げ音頭」を披露していました。 石黒さんは、子供達が北前船とニシンの関係を、動きで表現した感動を語っていました。 この人形展に来られた方は、改めて北前船ジオラマをご覧ください。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司

https://www.facebook.com/ishikari.tourismassociation/posts/3885257974898760