金沢 北前船史上最大の豪商

2021年1月22日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
石川県「銭屋五兵衛記念館」 田中重之氏

「銭屋五兵衛記念館」では、銭屋五兵衛の生い立ちから晩年に至るまでの偉業の数々をシアターで、北前船実物1/4の模型、商圏マップ検索装置などで学ぶことが出来る。田中さんは、今月31日まで開催している企画展「日本遺産追加認定一周年記念『北前船の誇り』」を紹介している。金沢の「北前船寄港地船主集落」の日本遺産構成文化財10のうち、2つがこの記念館にある。

 一つは、専長寺の松帆榭の旧銭屋五兵衛の隠居所にあった茶室をこの記念館横に移築した。もう一つは、この記念館に保存している「 [銭屋五兵衛家年々留附留帳](古文書)で、殆ど五兵衛の自筆である。「銭屋」は屋号で、六代目の吉右衛門から両替商を営んでいた事から称した。
 五兵衛は、安永2年(1773)、日本海に面した金沢の金石町に生まれ17歳で家督を継ぎ、問屋(呉服、古着商、木材商、海産物、米穀)から新たに海運業に本格的に乗り出した。 それは50歳代後半からで、江戸、大坂、青森、等34に及ぶ支店を持ち、大小200艘の大船団を擁した北前船史上最大の豪商だった。 五兵衛は、買い積商法で最も大切な価格や商品情報を得る仕組みを確立していた。
 各地の得意先商人と全国的なネットワークをつくり、農水産物の生産状況、価格の変動などを、頻繁に便船、飛脚に託して掌握している。 また松前藩の場所請負制は、積丹半島より北に入れない原則だったが、五兵衛は北海道最北端の礼文島を拠点にロシアと密貿易をしていた。
 昭和に入り、礼文島の人たちが銭屋五兵衛門を偲んで建立した記念碑も紹介している。金沢城(日本100名城)を藩庁とする加賀藩は100万石だったが、財政難に陥っていた。この財政の建て直しのために藩は、しばしば豪商たちに資金調達を命じている。 五兵衛は藩の重臣である年寄奥村栄実の要請に対する見返りに、加賀百万石の御用船として全国諸港を自由に航行できる「永代渡海免許状」を与えられた。 加賀藩の後押しを得て、藩営商法による販路の拡充を確立させた五兵衛は、加賀藩の金融経済の大切な役割を果たした。 しかし晩年、河北潟干拓事業に着手した際、反対派の中傷による無実の罪で、嘉永5年(1852)獄中で80歳の生涯を終えた。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司