福知山城 京都府無形民俗文化財「丹波の漆掻き」
2020年12月18日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:福知山市 文化財保護係 松本学博氏
福知山城は続日本100名城で、明智光秀が天正7年(1579)築城し、明治の廃城令で取り壊わされた。寺社などで使われていた石塔等の500程の「転用石」が使われた野面積の石垣は現存し、市の文化財になっている。光秀は市民から慕われ、城再建の機運が高まり昭和61年(1986)に復元された。城の近くに光秀を祀った『御霊神社』がある。
由良川と土師川(はぜがわ)の合流地点は氾濫が多く、光秀が由良川に堤防を築いた伝承があるが一次資料では確認できていないと松本さんは語っている。 氾濫が多い由良川近くに、堤防を築き築城したのは、舟運が必要不可欠だったようだ。 川沿いには、川の港を意味する「天津、高津江、常津」などの「津」の地名、船着き場を示す「舟渡」の地名も残る。
17世紀西廻り航路が活発になると、福知山を起点に由良川の河口の神崎湊まで綿・茶・漆・紙等が運ばれ北前船に積まれた。 藩の特産品になった「丹波漆」は、1300年ほど前には税として納められており、福知山藩が夜久野町で植栽を推進し、漆の増産を奨励した。
平成3年「丹波の漆掻き」が京都府無形民俗文化財に指定された。 「藍」については、京都の松尾大社の荘園が福知山にあり1473年にこの地の荘園の人々が松尾大社へ藍を納め、1496年には浅葱色(明るい青緑色)に染めた布を納めたという記録があり紺屋町の地名が残っている。25年程前から藍同好会ができ、由良川の藍の栽培に成功し技術と伝統が継承されている。 大河ドラマ『麒麟が来る』が、来年2月初めまで放送がある事から「福知山光秀ミュージアム」が2月7日まで開かれている。
この大河ドラマでよく見る光秀の家紋「桔梗」は、福知山の市の花に制定されている。 放送の後調べると,由良川河口の海岸一帯には、揚げ浜式塩田があり、この塩や、各地から運ばれた品が高瀬舟で上流の福知山にまで運ばれている。
この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。 スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。
文:矢竹考司