島原 日本で最初にクリスマスを祝った町

2020年11月27日放送 「チェンバリスト明楽みゆきの浪漫紀行」
ゲスト:島原市 島原城史料館 専門委員 松尾卓司氏

島原城は日本100名城で、キリシタンの史料や、港町だった時代の郷土史料が展示されている。松尾さんは、郷土史家で『島原半島の歴史』など多数の書籍を出版され、日本の西の海の玄関口、島原の海がつなぐ人と文化をはなしている。有明海にある島原半島にキリスト教が伝わり、この地方のキリシタン大名有馬晴信の名代としてローマへ派遣された4名の少年は、ローマ法王に長崎 島原をラテン語で報告している。この天正遣欧少年使節団は、西洋楽器や印刷機を持ち帰り(1590年)キリストの文化を広めている。

 明楽さんも、この少年使節団が訪れたイタリヤ(ロレート)でチェンバロを弾いた日の感動を振りかえっている。 島原は、クリスマスを日本で最初に祝った町で、今もクリスマスはコーラスで再現している。 江戸に入るとキリシタン禁止令により、厳しいキリシタン弾圧から天草四郎の乱が起こり、住民の6割が命を落としている。その後、譜代大名が島原城に入封し(1638年)キリシタンの監視にあたった。 この島原の乱(1637年)から、南蛮貿易等海外交易は途絶えたが、沿岸航路の一拠点として口之津湊は発展している。
 大牟田の石炭の専売権を得、島原城下の口之津湊(現南島原市)から、瀬戸内海の塩生産地に燃料として石炭を運んでいる。 明治になると三池石炭の海外積み出し港として、再び世界に開かれ大牟田に三池築港が完成するまで賑わった。 40軒の廻船問屋で栄えた口之津湊には漂流した記録が多く残る。 漂流しメキシコから無事帰還し、世界を見た太吉。一方、日本に帰国できなかった力松は、おそらく香港で余生をおくりぺリー来航の情報を提供した。 明治に入るとカナダに漂流し移民第1号の永野万蔵の存在も語っている。

この番組は、ピナクルズ、トータル運輸、山元醸造、兵庫津樽屋五兵衛の提供で、FM札幌しろいし局が制作し、毎週木曜日から北前船寄港地13箇所で放送されています。  スマホからは「日本ラジオ」をインストール、アイフォンからは「Tune in Radio」で、パソコンからは「各FM局」検索で聴いていただけます。

文:矢竹考司